当山は西暦1500年代の前半(戦国時代)より歴史をつなぐ寺院です。
御開山(ごかいさん)(寺の創始者・初の住職)は桂岩順賀(けいがんじゅんが)大和尚。山梨県甲州市勝沼町の街中にあり、武田信玄の縁戚に当たる「勝沼武田氏」の菩提寺として、五百年以上の歴史を有しております。地元に残る「勝沼古事記」には、当院の開創由来が次の通り伝えられています。
永正十年(1513)武田信縄公の御内室で、信玄公の父である武田信虎公と、その弟の勝沼五郎兄弟の御母堂が逝去され、一宮町中山の地にある広厳院に埋葬されました。しかし中山の地から勝沼までの道のりは遠く、また地域を流れる日川からの出水も頻繁にあり、墓参に行けないことが度々でした。
そこで広厳院と同じ宗派で、近くの小佐手(おさで)村にあった東林院を仮の菩提寺とし、毎月そこに墓参しておりましたが、ある時、その村の領主と諍(いさか)いを起こし、東林院への墓参道が封じられたため、広厳院の計らいで、勝沼村にあった禅宗の願光寺という無住のお寺を「泉勝院」と改名し、ここに位牌をお祀りしたとのこと。
「勝沼古事記」には、大永元年(1521)三月に、広厳院の弟子で、下曽根村にあった恵福院(えふくいん)の僧侶が住持として入山したことになっていますが、泉勝院の過去帳には、御開山は東林院三世の桂岩順賀(けいがんじゅんが)大和尚と記録されています。
当院の開基(寺の創建に携わった方)は、前期と後期の二つに分かれており、前期には弘治三年(1557)北条氏との戦いで討ち死にした勝沼信友公(長遠寺殿快翁道俊居士(ちょうおんじでんかいおうどうしゅこじん))と、その夫人(勝月院殿誓庵理鳳大姉(しょうげついんでんせいあんりほうだいし))が、後期には寺の再建者として、福正院殿光山輝公居士(ふくしょういんでんこうざんきこうこじ)と崇聖院殿華嶽榮公大姉(すうしょういんでんかがくえいこうだいし)(両名とも名前は不詳)が記録されています。
歴代住職者の人数が、五百年の歴史に対して少ないこともあり、おそらくどこかの時代で百年以上は無住であったのだろう。それを再建したため、当院の開基様は前と後とに分かれているのだろうと推察できます。
甲州ぶどう、甲州ワインで有名な、四季を通じて美しい山紫水明の地「勝沼」にある当院とのご縁を皆さま方との間に頂きたく、ご案内いたします。
泉勝院十七世住職 西牧和秀
ギャラリー
寺情報
- 名前
祐德山 泉勝院
(ゆうとくざん せんしょういん)
- 宗派
曹洞宗
(そうとうしゅう)
- 所在地
〒409-1316
山梨県甲州市勝沼町勝沼1819
- 連絡先
TEL:090-8977-0949
(受付時間:9:00~17:00・西牧まで)